このところ、小説、特にミステリーものを読むことが多かったけれど、今回は久しぶりの歴史の本。これも、図書館から借りた電子ブックです。

Kulkemattomat polut - mahdollinen Suomen historia -

Kulkemattomat polut
- mahdollinen Suomen historia -
編集:Nils Erik Villstrand & Petri Karonen
出版: Gaudeamus , 2017年
表紙:Emmi Kyytönen

歴史を現在の地点から振り返ると、過去から今までの歴史の流れは一本道。

一方で、現在の地点からはただ一つの未来像が見えるわけではない。現在から未来へは多くの選択の余地があり、未来の姿が私たちの目の前に正確に描かれることはあり得ない。人の意志とは無関係の、全く予測できないことだって起こりかもしれない。そしてそれが、未来への流れを大きく変えることだってあるはず…

1917年の独立国家への道のりとしての視点からフィンランドの歴史が語られることが多いけれど、過去に生きた人々が、未来の「フィンランド国家」に向けて戦や政治を繰り広げてきたわけではない。

その時々を生きた人々にとっての未来は、私たちにとっての未来と同じように不確かなものだったはず。その人々が生きた時代の視点から歴史をみると、別な歴史も見えてくる。そして、もしその時代に別の選択をしていたとしたら、歴史の道は大きく変わっていたかもしれない。

…という考えから、この本では、1417年、1517年、1617年、…というように100年ごとに、それぞれの時代の観点から歴史を語っています。

それぞれがどういう時代だったのかというのをごくごく簡単に言えば…

1417年(とその前後)
1417年には、スウェーデンで3名の聖人候補の列聖調査が行われた(結局3人とも聖人となることはなかった)。つまり、この頃はすでに、カトリック教会の組織化が北欧でも進んでいたということ。
当時のフィンランド地域は「トゥルク教区」、ウプサラ教会に属していた。Magnus Olai が長年の間(1412年~1460年)トゥルク教区の司教を務めたことが、フィンランド地域の教会組織の発展に貢献。
政治組織よりも教会組織のほうが進んでいた時代。

1517年
1517年は、クリスチャン2世がデンマーク王となって4年目の年。一方スウェーデンでは、ステン・ストゥーレが「クリスチャン2世を絶対スウェーデン王とすべきではない。」と宣言した年。
マルチン・ルターによる「95ヶ条の論題」が掲出された年でもある。

1617年(とその前後)
スウェーデン王はグスタフ2世アドルフ。
スウェーデンとロシアによるストルボヴァの和約で、ロシアはフィンランド湾沿いの領土を失う。
このころのスウェーデン(つまり現在のフィンランドも含めて)には多くの都市が制定された。タールの生産量も増大。

1717年(とその前後)
フィンランドはロシアの占領下。役人や牧師たちの多くがスウェーデン側に避難。庶民の生活は苦しいものであったらしい。

1817年(とその前後)
フィンランドはロシア帝国の一部。フィンランドの上層の人々の多くは、ロシア帝国に融和的だったが、庶民はなかなかこの事態を受け入れられなかったらしき記録あり。フィンランドの西部では、スウェーデンとのつながりは相変わらず大きかった。

1917年(とその前後)
この頃、急速な都市化が進み、住宅問題が深刻化。
1914年に始まった第一次世界大戦は、フィンランドには直接的な影響はもたらさなかった。しかし1916年末頃から、食糧事情が悪化。治安も悪くなり、いくつかの集団が個々に護衛団(?)を形成。
この年、フィンランドの独立が宣言された…が、国内では当時、おおごととしてとりあげられなかったようだ。


でも…

もし、1417年に候補にあげられた人々が聖人となっていたら、スウェーデン・フィンランドの聖人崇拝はもっと根強いものになっていて、宗教改革は困難だったかもしれない。

もしクリスチャン2世が、ストックホルムでの虐殺(ストックホルムの血浴)のような行為に出なかったら、カルマル同盟ははそんなに早く決裂しなかったかもしれない。

もし、大北方戦争で(つまりほぼ100年早く)フィンランドがロシアに割譲されていたとしたら、フィンランドの文化は今とは大きく変わっていたかもしれない。

…などなど、歴史の流れには様々な可能性があった…

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こんな歴史のとらえ方もあるんですね。歴史って、視点によっていろいろな書き方ができるものなのだと改めて感じました。

もう一つ、歴史に関して感じているのは、歴史が意外に狭い立場から描かれていることも多いのだということ。

例えば十字軍。12世紀頃スウェーデンから「十字軍」がやってきた。それによってフィンランドは西側(カトリック教会)の文化圏に組み入れられた。

それが昔からの歴史家たちの解釈だったといいます。現在は、この「十字軍」は「聖戦」のためだけにやってきたわけではなく、スウェーデンのフィンランド地域での地盤固めと税収入が目的だったと認識されているそうですが。

一方で、13~14世紀にロシア側のほうからも同様の目的で軍隊が来ているのですが、そちらのほうは歴史家たちから「十字軍」とよばれることはないんだとか。

同じような軍隊であっても、その後の歴史に影響を与えた方は「十字軍」として歴史の中で重要視され、もう一方は「十字軍」という名前さえも与えられていないわけです。東方からの遠征はカトリック教のものではないから、といわれればそれまでですが。

*****

…私たちは意外に、歴史を見たいようにしか見ていないのかも。そんなことを考え始めると、日本の教科書に書かれている歴史も、日本人たちが見たい、あるいは教えたい歴史でしかないのでは?と思えてしまう。

"Kulkemattomat polut - mahdollinen Suomen historia -"の意味

それぞれの単語の意味です。
  • kulkematonkulkea 歩む・歩く の否定分詞
  • polutpolku 小道 の複数主格
  • mahdollinen可能な
  • SuomenSuomi フィンランド の単数属格
  • historia歴史
『歩まなかった小道~もしものフィンランド史~』のような意味になりましょうか。

著者について

歴史家7名によって書かれています。

編者の一人である Nils Erik Villstrand(1952年~)は、オーボ大学の北欧史の教授。
もう一人の編者、Petri Karonen(1966年~)はユバスキュラ大学のフィンランド史の教授。

あとの5名は…

Pertti Haapala(1954年~)。はタンペレ大学のフィンランド史の教授。
Sari Katajala-Peltomaa。タンペレ大学の哲学博士・大学教員。
Ulla Koskinen。哲学博士。ユバスキュラ大学・タンペレ大学所属。
Pirjo Markkola(1959年~)。タンペレ大学のフィンランド史の教授。
Marjaana Niemi。タンペレ大学の国際史の教授。

《参考ウェーブページ》
Nils Erik Villstrand & Petri Karonen (toim.): Kulkemattomat polut | Gaudeamus